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「経験はある、実績も、人脈もある。これをどうビジネスにすればいいの?」―そんなモヤモヤを払拭し、マーケティング・広報の専門家として独立

「経験はある、実績も、人脈もある。これをどうビジネスにすればいいの?」―そんなモヤモヤを払拭し、マーケティング・広報の専門家として独立
「経験はある、実績も、人脈もある。これをどうビジネスにすればいいの?」―そんなモヤモヤを払拭し、マーケティング・広報の専門家として独立
宮下真紀子さん
・公益財団法人浜松地域イノベーション推進機構 フォトンバレーセンター アウトリーチコーディネーター
・広報プロデューザー


Facebook:https://www.facebook.com/profile.php?id=100025568851955
Instagram:https://www.instagram.com/miyashitamakiko_hamamatsu/

都内で仕事漬けのベンチャー社員から地元浜松の派遣社員へ

20代の頃は、都内のベンチャー企業でセールスプロモーション・マーケティングの仕事をしていました。バリバリの女社長の下で、パシリから企画立案まで365日休みなし、シビアに数字を追いかける日々を7年近く。結婚する相手が地元浜松の人だったので、31歳で地元に戻りましたが、「やれることやった」という感覚でした。30代からどこからともなく湧いてくる自信は、この時代の経験があったからだと思います。

地元に戻ったものの、「宮下さんのスキルはうちではいらないです…」と言われて、経験とスキルを生かせる場所がなく、派遣会社に登録。浜松に本社がある大手メーカー・スズキ株式会社に派遣されました。最初は私じゃなくても良い仕事内容の部署だったんですが、「今までの経験を生かして、私に広報の仕事させた方が良いと思います」って自らアピールして、次の派遣期間から本当に広報の仕事ができるようになりました。上司に恵まれて3年くらいやりたい仕事をさせてもらって、上の子を妊娠して退職しました。

産後は戻るつもりでいたのですが、リーマンショックに重なり復職できず、子どもが1歳の時に、保育園に入れたくて別の会社でパートで働き始めました。
ヤマハのボートの部門から独立してFRPでプールの設計をしている事務所だったんですが、これまでの広告やイベントの経験も生かせそうだったので週5でパートに入っていました。本当に子どもがいながら働けるのかな?と思いながらのスタートでしたが、実家のサポートを受けながら、子どもがいても働けると実感。2人目の妊娠・出産で辞めるまで勤めました。

バリバリ働くつもりはなかった大学教授秘書。蓋を開けたら企画・運営・広報…これまでの経験をフル活用の激務だった

2人目出産のあと、また派遣社員に戻ろうと思って登録しにいったところ、ちょうど静岡大学で「産学連携」に取り組まれている工学部の教授秘書が辞めるタイミングだったので、すぐに面接があって、そのまま就職が決まりました。

スケジュール管理とかのお仕事かなと思ったら、「4か月後に日本初開催の国際会議を主催するからよろしくね!」って言われて。前回のアメリカ開催時の報告書はないし、前任者も誰もいないし、仕方ないから知らない方のブログから内容を調べるところから始め、2泊3日のワークショップも含めた会場や宿泊施設の手配、アメリカとカナダから先生を招へいして、全国から産学連携に関わる若手を募り…最後には決済システムの整備まで全部やりました。産後なのに激務すぎて、舌の神経がマヒしちゃって味がしなくなるほど。

ここから5年くらい、学内で50人ぐらいのプロジェクトチームが立ち上がるような、大規模な学会の開催など、常に大きなイベントを企画・運営していたのですが、先生が出世されて偉くなったので、そういう「事務局業務」はなくなって。先生のスケジュール管理だけすれば良い状況になったら、逆に面白くなくなってしまったんです。

地元浜松の中小企業と直接関われる、産学連携コーディネーターの仕事は自分のやりたい仕事だったが…有期契約の壁があった

転職を考えている時に、「公益財団法人浜松地域イノベーション推進機構」のセンター長に元静岡大学の学長が就任すると決まり、「私を雇うといい事ありますよ!!」ってまた直談判。大学と中小企業をつなげる産学連携コーディネーターとして働くことになりました。

このお仕事は、浜松の中小企業が頑張っている姿を間近で見て、生の声が聴けるのが本当に面白いんですよ。浜松には有名な大きい企業もあるけれど、ほとんどが中小企業。一生懸命もがいて、新しいことをしようとする姿がたくましいんです。
そんな中小企業と、大学の先生をマッチングして、財団から資金を出すことで、花開くのが本当に嬉しいし、喜んでもらえる。私が手伝うことで、浜松を「中小企業が活躍する世界で一番有名な街にしたい」というのがモチベーションになっています。

とはいえ、この仕事は2023年3月までの有期契約で。期限が切れるのを前に、自分は何者なのか、何を軸にして仕事をしていけばいいのかが分からなくなりました。経験はある、実績もそこそこあり、人脈もある。でもこれが本当に他にはない”私だけの強み”なのか?やれることはあるけれど、ビジネスにしていく自信はない。私は何と名乗ればいいのだろう?軸が分からないのでずっとモヤモヤしていました。


起業セミナーに参加したこともあるのですが、キラキラした雰囲気が自分には合わず、PR塾に入りました。すごくためになったし、いろいろな方と繋がることができたのは財産になりました。また、地元ミニバスケットボールチームが多くのメディア掲載をいただいて、地方活性化に少しは役に立てるかなとも思ったのですが、仕事との両立は結構大変で、自分が「武器にできる」と自信を持てるほどの実績が出せませんでした。

フリーランスとしてビジネスをしていくための組み立てをするにはどうすればいいのだろう…。道しるべになる人や、仕組みを知りたかった私にとっては、I’meが一番合っていました。I‘meなら必要なことを必要な時に動画で学べるから、ライフスタイルに合うし、武器がたくさん持てると思ったので入会しました。

女性が活躍できる場所を作りたい。でも前に進めなかった一歩を踏み出せたのは、メンター講師のコンサルのおかげ

地元浜松に戻ってきた時から、起業して女性が活躍できる場所を作りたいと思っていたので、実は10年くらい前に開業届を出していました。でも、上司や偉い人に「私こんなことできます!」ってアピールするのは得意なのに、起業に関してはすごく後ろ向きで「私に何ができるんだろう…」って途端に自己肯定感が低くなって、前に進めなくなるんですよ。その「なぜか越えられない」山を越えるために、I’meが必要でした。

めぐちゃん(メンター講師の篠田恵)のコンサルで、私のやれること、やるべきことを整理してもらって、その手順の道しるべを作ってもらったことで、今までの「やりたいことはあるし、多分やれると思うけど、どこに向かって、何を使って一歩を踏み出せばいいのか分からない」という状態から抜け出せたことが大きかったです。コンサルを受けるまでは、これまでの実績は特別な事ではないと思っていて、スズキで働いていた実績なども記憶から抜け落ちていたのですが、この経験が他の人にはない強みだという事に初めて気づきました。


また、これまでは何でも「ちゃんとしないといけない」と思っていて。屋号も、内容も、資料も、LPもきちんと整ってないからまだ仕事はできない…という感覚だったのですが、「まずは御用聞きからはじめて、課題をみつけたら提案してビジネスにしていけばいいんじゃない?そういうの得意でしょ?」って、とにかく褒めまくって、励ましまくって、背中をバンバン押してくれるのが、自信につながっています。気負わなくてもいいのかな、肩の力を抜いてもいいのかなと思えるようになりました。

I’meは私にとって、欲しい時に欲しい情報を確認できる「辞書」のような存在

2015年から「TED」の地方版「TEDxHamamatsu」を友人と立ち上げて、「スピーカーチーム」をボランディアでずっと続けています。スピーカーを探して、原稿を一緒につくって、キュレーションして、当日までフォローという部分を私が担当しているのですが、その協賛企業さんのご縁で、ビッチコンテストのトレーニングのお仕事をいただくなど、講師をする機会があるんですね。

そんな時に、ネットで調べると色々ありすぎて迷ってしまう、話し方、資料のつくり方、Canvaなどは、アイミーの動画を改めて観て不安な部分を確認したり、「大丈夫、方向性は間違ってなかった」っていう、自分の安心材料にしたりしています。辞書みたいな感覚です。

あと、今年から始まった本講座、すごくいいですね。どのようにビジネスを立ち上げていくのかが分かりやすいし、具体的事例もあって、ゼロからでも分かるように内容が練られているので、すごく役に立っています。

起業家としての覚悟が決まり、ずっとモヤモヤしていた「マーケティングや広報の専門家」としての立ち位置がハッキリした

起業家としての本格的な意識が芽生え、覚悟を決めることができたのが、I’meに入ってからの一番の変化だと思います。SNSの使い方も個人の趣味から、ビジネス要素を意識するようになったし、リスキリングによって点と点が結びついて、さまざまな場面で「総合的な広報活動」の思考ができるようになりました。産学連携のクライアントさんとの会話の中でも、自然と「社会にとって何の役に立ちますか?」という広報視点の提案ができるようになっています。

技術は技術の専門家、私はマーケティングや広報のアドバイスができる専門家という立ち位置がハッキリして、「売ることにも目を向けた方がいいですよ」とか「PRした方が良いですよ」という提案を、自信を持ってすることができるようになりました。エンドユーザー目線や、社会情勢も絡めた話ができるのは、とてもプラスになっています。この視点は、I’meでいろんな人とつながって話をすることで得られたものでもあると思っています。

それから、自分ではずっと後ろ盾なく仕事をしているつもりだったのですが、実際に1人でビジネスをしようと思ったら、やっぱりそうじゃなかったことに気づかされました。背中を押してくれる存在や仲間、助けてくれる人って、やはり必要ですね。I’meには、個人事業主として活躍されている方もたくさんいるので、「私にもできるかも」と思わせてくれる環境なのも、とてもありがたいです。おかげで、ずっと出せなかった一歩を踏み出すことができました。起業するタイミングとI’meがバッチリ合って良かったです。

女性が輝けば街は潤う。活躍できる女性を増やして、浜松の街を元気にしたい。地方女性のモデルになったら嬉しい

地元に戻ってきて、女性が働くことに対する扱いが都会と全然違う事や、そもそも働く女性が少ないことに驚いて、何とか変えていきたいという思いがあるんですが、I’meで地方の女性が活躍している姿を目の当たりにして、私はやっぱり女性の活躍を応援したいんだと、改めて思いが強くなりました。浜松って、転勤族も多いし、スキルを持っている女性も少なくないのに、なかなかそれを生かせていないのがもったいないと思って。

私、「女性が輝くと街は潤う」と思っているんです。お財布を握っているのは女性の確率が高いと思うんですが、女の人がお金を持つには、ぶっちゃけ自分が稼ぐのが一番早い。稼げる女性は輝くし、気持ちも豊かになって、お金が循環するから街も潤う。そう思いませんか?だから、女性が輝ける街を作りたい、地方で活躍できる女性を増やしたいと思っています。浜松はそういうことができる街だと思います。

今年中に事業を軌道に乗せ、来年にはチームで動ける広報事業を展開し、2025年に法人化。地方女性の活躍ビジネスモデルになるのが目標です。


自分では何も意識せずに、組織で仕事しながら自分のやりたいこともしてきたのですが、そんな私の生き方を「ハイブリッドワーカー」の本に掲載していただきました。また、リスキリングについてWebメディアにも取材していただき記事になりました。正直「え?私でいいの?」と思ったのですが、こういう姿も、地方女性の励みになったら嬉しいです。

家族の都合でキャリアを断念した転勤族の妻や、個人ビジネスのステージを上げたい人に勧めたい

地方に住んでいる転勤族の妻、家族の都合でキャリアを断念した女性、子供が小学校に入るタイミングで何か自分でも仕事をしたいと思っている女性にI’meをおススメしたいです。個人ビジネスとしてアクセサリーとかネイルサロンとかされている方はいると思いますが、そういう方がビジネスとして規模を大きくしたいという時にも良いと思います。地元だけでなく、世界にもお客さまが広がるという事に気づいてほしいです。

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